伊江島・人形館
伊江島の紹介ブログ
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浜崎貝塚発掘調査レポート④
人形館的伊江島冒険隊!
アケじいの浜崎貝塚発掘レポート④
「これで時代がわかるドッキドキ♡の土器」そのⅢ
浜崎貝塚人の最盛期を考えてみた・・

発掘調査を行った作業員を紹介
〇三長老 国さん、熊さん、琉さん
彼らの知識は大学教授並み
〇 今回の発掘調査の中心戦力、AO姉弟


〇 自衛隊あがりのセークさんいつも冷静なタケさん
〇生きた化石モリ姉と発掘現場を走り回るミヤさん


〇発掘現場のゾウ アケじい
アケじいもこの作業員の中では青少年なのです、

はじめに
土器には編年という考え方があります、この編年によって
土器の時代が位置付けられるのです、土器の年表という事で
す、 編年は明治時代以降多くの研究者達の努力によって蓄
積されてきた資料を元に幾度となく改訂を行いながら現在に
至っています、それが現行編年です、
ここでは現代の研究者によって作成された最新の現行編年
を見てみたいと思います、

そのⅢ「沖縄在地土器の最盛期・縄文時代後期」
「沖縄諸島においてこの時期から、外来要素が強い文化から
在地的要素が強くなる文化へと形成される・・」
参文-伊波式荻堂式大山式土器について若干の考察ー崎原恒寿
アケ「縄文後期になると土器が圧倒的に多くなりますね」
O君「この時代になると人口が増え沖縄のほとんどの島で人が
住み始めてます」 アケ「貝塚時代の最盛期ということか」
o君「今のところ、この浜崎貝塚から出土している土器で最も
古いのは伊波・荻堂式系ですね、今から3千500年前、縄文時代
後期後半にこの浜崎貝塚が始まったと考えて良いと思います」

土器の器形から当時の生活を考えてみた・・

引用論文ー郷土の歴史に興味・関心をもたせるための、地域素材を生かした
指導法の工夫ー 仲里 勉
アケ「伊江島のほとんどの池は人工池なんですよね、琉球王朝
時代には小堀を村人総出で掘り下げ大型の溜池にしたのです」
琉さん「アケ、お前の話は本当か・・、掘るところを見て言っ
てるのか・・バカモン!」アケ「・・( ゚Д゚)」
国さん「記録があるのだよ、村史とかに、」
※小型の深鉢型土器(荻堂式) ※つぼ型の口縁部(宇座浜式)
※大量のマイマイ(カタツムリ)が出土、そして土器の中からも
マイマイが出てきました、
※大当原式土器のつぼ型 ※荻堂式土器のつぼ型
O君「もう一つツボの良いところは保存用に使えることですよ」
アケ「ああ、そうか、椎の実やソテツの実は保存がきく、野生の
粟、ヒエなどの穀物もあったらしいですね、とすればそれらを害虫
やネズミから守りたい、フタのできるツボが最適ですね」
発掘現場エピソード
それでもレポートは続けます、
琉さん「やめろ!」


指導法の工夫ー 仲里 勉


アケ「伊江島のほとんどの池は人工池なんですよね、琉球王朝
時代には小堀を村人総出で掘り下げ大型の溜池にしたのです」


琉さん「アケ、お前の話は本当か・・、掘るところを見て言っ
てるのか・・バカモン!」アケ「・・( ゚Д゚)」
国さん「記録があるのだよ、村史とかに、」
※小型の深鉢型土器(荻堂式) ※つぼ型の口縁部(宇座浜式)



※大量のマイマイ(カタツムリ)が出土、そして土器の中からも
マイマイが出てきました、



※大当原式土器のつぼ型 ※荻堂式土器のつぼ型




O君「もう一つツボの良いところは保存用に使えることですよ」
アケ「ああ、そうか、椎の実やソテツの実は保存がきく、野生の
粟、ヒエなどの穀物もあったらしいですね、とすればそれらを害虫
やネズミから守りたい、フタのできるツボが最適ですね」

発掘現場エピソード

それでもレポートは続けます、
琉さん「やめろ!」


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