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力 タンナーパの謎 その2

 

人形館的伊江島史 力 タンナーパの謎
                    その2 浦添、中山考

  みなさん、浦添市の「うらそえ」、その語源ってご存知でしたか?
うらそえ」とは「浦を襲う」という意味で、浦、つまり港を襲い、そして
治める、統治するという事なのです。
浦添城1 浦添城2 
※浦添城跡

 12世紀初頭、沖縄、牧港あたりを中心に、その周辺の港を
襲い、次々と統治し始めた武闘集団、琉球王国の始祖であり、
そして、最後のアマミキヨが登場するのです。

 ドラマチック田増(でんぞう)ドラマチック田増です、

 日本史でいうと室町時代の初期、沖縄は北山、中山、南山という
三つの王国に分裂し、その勢力を競っていました。

 タンナーパたちが生きた三山時代とは、沖縄、琉球の歴史とは、
それは浦添中山の歴史と大きく結びついていたのです。

 今回はタンナーパ達が生きた時代背景を考えてみたいのです。

  古代の沖縄ってどんな所?

 僕はある大学の講義で「日本史を知りたいのなら、まず、沖縄を
知りなさい。」という話を聞いたことがあります。

 「天照大神(アマテラスオオミカミ)」って女性なんですよね、日本の
神話や歴史において色々なところで女性が大きな役割をはたしてい
ます、
 これって沖縄なんだなって僕は考えているのです。
天照大神 ※天照大神


 古代の沖縄は縄文時代から平安時代にかけて、長い間、貝塚時代
という狩猟採集を中心とした村落が広がっていました。

20151216b.jpg
 ※貝塚時代と日本史との比較(クリック)

 狩猟のほとんどは島を取り囲むように広がるサンゴ礁が育む豊富
な海産物でした。
伊江島周辺のイノー ※伊江島周辺のサンゴ礁リーフ(イノー)

 村人達は海岸近辺を生活の場として居住し、サンゴ礁リーフから
採れる魚介類を食量とし、イノシシなどの家畜を飼い、原始的な農業も
おこなわれていました。
20151214a (2)   13,7 (15)
※貝塚時代の生活(資料、伊江村教育委員会)                ※伊江島のイノー
 
 
 この古代沖縄村落の海洋狩猟採集の生活の事を、貝塚文化または
イノー文化とよび古代沖縄の独特の経済基盤を築き上げていたのです。

 この村落は「マキョ」または「フダ」とよばれ沖縄独特の文化圏を築い
ていたのですが、けっして日本本土から孤立していた訳ではなく、琉球
弧とよばれる列をなしたように繋がる島しょ群によって結ばれていた
のです。

海の道 ※海の道

 琉球弧は「海の道」とよばれ、例えば九州の南端、大隅半島からは種
子島、屋久島が望む事ができ、屋久島からはトカラ列島が、トカラ
列島からは奄美諸島が、奄美諸島からは沖縄本島そして久米島へと
連続して見渡すことができるのです。

種子島から大隅半島 屋久島から種子島 
 ※種子島から大隅半島         ※屋久島から種子島

トカラ列島 ※トカラ列島群

※夏の大潮のよく晴れた日は、海面が2,3メートル下がるので普段見る
事のできない遠くの島々も見渡すことができます、伊江島でも城山に登る
と久米島や与論島が見える時があります、


与論島から沖縄本島 ※与論島から沖縄本島

 手漕ぎのくり舟でも島々を見渡しながら渡りつぐことができたようで、
これが「海の道」と呼ばれていた海上航路だったのです。
sabani_20151216155150525.jpg ※サバニと呼ばれるクリ船、貝塚時代の名残り
なのでしょうか
 
この「海の道」をつたわり、さまざまな人や文化が南下して来ました。、
 
 弥生期になると、沖縄から貝が逆に九州へと輸出されるようになり
交流、交易は益々盛んになり、けっして孤立していた文化ではなかった
事がわかります。
7,3 (147) 7,3 (150) 
7,3 (145)b ※沖縄から出荷された貝製品(弥生期の遺物)
 (伊江村資料センター所蔵)

 この古代沖縄の村落は、根人(ニッチュ)とよばれる首長と、根神(ニ
ーガミ)といわれる神女によって統治されていました。

okinawa3.jpg
 

 根神(神女)はアモとかノロとよばれ、根人(首長)の娘や姉妹が勤め
るのですが、その彼女達のセジとよばれる霊力は村人達の絶対的信頼
を得ていたのです。

izaiho noro ※古代の根神(神女)を思わせる久高島イザイホーのノロ

 根人と根神による古代沖縄の祭政合致の制度は、沖縄民衆の支えと
なるとともに、後の琉球王国建国への大きな礎へとなっていったのです。

    沖縄を創造した神々「アマミキヨ」って何?

 伊江島の神女達の伝説では、島をつくったのは「アマミキヨ」という
神であると伝えられています、

 これは伊江島だけでなく、沖縄全体での共通の伝説なのです。

 九州から沖縄へと「海の道」をたどって、新しい技術、文化が伝わって
来るとき、必ずと言っていいほど奄美諸島を経由することになります、

奄美諸島
 ※奄美諸島

 アマミキヨ、アマミキョとは、奄美人の事であると多くの歴史家の共通の
解釈のようです、アマミキヨとは近代琉球語でいうアマミンチュという事に
なります。

 アマミの語源は奄美大島一帯に居住していた海部人(アマベ)一族を
語源としています。

 海部人一族は元々は九州南部に居住していて、その後南下し奄美
大島一帯で定住した人々でした。

 海部の発音はamabe、琉球語では「e」という短母音はなく「i」に変音し
ます、よってamabi, 更に琉球語は「b」と「m」の子音があいまいで、発音
しやすいところで変音してしまいます、よってamamiと変化し、海部はアマミ
と発音したのです。

 新しい技術や思想、宗教といった文化は奄美を経由してやってくる、アマミ
キョ(アマミ人)が伝えてくれる、

 つまり、沖縄人にとってアマミキヨとは、海の向こうからやってくる倭人(大和
人)そのものを意味していたのです。

 幸せは海の向こうからやって来る、願いは海の向こうの国が叶えてくれる、
そういう思いがアマミキヨを神格化させていきます。

agarihana.jpg ※アガリパナ(東の岬)で祈る伊江島のノロ

 アマミ家を「天宮」へと転訛させ、アマミ子(アマミクァ)を「阿摩美久」という
天孫降臨の神へ進化とさせていきます。

2amamiku 



     
ヤハラヅカサ伝説


 ある貝塚時代の一時代、久高島へとたどり着いた,あるアマミキヨの一族
は島に五穀をもたらしました、

久高島
 kudakajima.jpg 
 ※久高島                                      ※ヤハラヅカサ海岸

更に肥沃な土地を求めて沖縄本島へと
上陸していきます、
 久高島の対岸にあたる玉城の海岸には「ヤハラツカサ」という岩があります、

yaharatukasa.jpg ※ヤハラヅカサ

 久高島アマミキヨが初めて着岸し、上陸した場所とされ、後に、琉球王国
開闢(カイビャク)の神「阿摩美久」が天孫降臨した場所とされています。

3amanniku.jpg ※クリック!

 「阿摩美久」は琉球王国の始祖王統、天孫王統を築いたと王統系譜に
記録されています、が、しかし、この天孫王統の記録は17世紀にあって、
日本書紀の天孫降臨神話を真似た粉飾であると、多くの歴史家によって
認められているところです。

簡略 琉球王統系譜 ※簡略 琉球王統

 この久高島アマミキヨのように王統成立(1187年)以前に渡ってきたアマ
ミキヨの事を古渡り(こわたり)アマミキヨと言われています。

 貝塚時代に渡ってきた倭人の人々のことであると考えられます。

 貝塚時代には、貝と穀物などを物々交換をしに来た倭人や、造船や
航海術、漁法、漁具などの技術、イノシシなどの家畜をもたらしてやって来た
移住倭人なども古渡り(コワタリ)アマミキヨと言えるのでしょう。

7,3 (149) ※貝塚時代の漁具、かなり高い技術があった事がうかが
                            えます。


    沖縄は博物館!

 沖縄では、海部(アマベ)をアマミと発音するように沖縄の言葉、琉球語と
日本語はまったく違うようにみえますが、実は深い関係があるのです、

 ここで沖縄の言葉の音韻変化について考えてみたいのです。

 面白い話があります、京都、平安時代のなぞなぞ遊びにこんなものが
あります、

 母には再びあえるけど 父には再びあえぬもの

 これ、答えは、「唇(くちびる)」なんです、理解できるでしょうか?

 実は、平安時代の日本語には「はひふへほ」という喉音はなかったのです、
「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と発音していたのです、ですから、母は「はは」
ではなく「ぱっぱ」と発音していたのです、「パッパ」は唇を二度合わせて
発音しています。

 沖縄の年配の方なら理解できると思います、沖縄で母親のことを
「アンマー」とも呼びますが、古い言葉は「パッパ」なのです、伊江島では
間違いなく「パッパ」です。

 琉球語は一定のルールがわかれば、ほとんどが日本語なのです、

 琉球語においても「はひふへほ」という発音はありません、「はひふへほ」
は「ぱぴぷぺぽ」または「ふぁふぃふふぇふぉ」または「かきくけこ」に変音します、
 
 つまり、琉球語においてはH音、P音、F音、K音は同じ発音として受け
止められるのです、

 そして、母音の変化、通常日本語の母音は「あいうえお」、琉球語では
この「あいうえお」が「あいうい”う”」に変音します、「い”」「う”」は鼻濁音、鼻
に引っ掛けて発音するような音、特に短母音は完全にこの「あいうい”う”」
に変音します、

 例えば、「金(カネ)(kane)」、kaneの「e」が「i」に変音します、よって
「カニ(kani)」、そのまま「カニ」と発音する地域もありますが、伊江島では
K音がF音に変音します、よって「ファニ(fani)」と発音しています、

 さらに現代日本語の影響を受けF音をH音に変えて「ハニ(hani)」と
発音している人も多いようです、

 伊江島の御年寄りどうしの話に耳を傾けてみると、確かに「ファニ」と発音
している人はまだまだいるようです。
img033.jpg 

 伊江島のみなさん、ヤギの事を「ヒージャ」と発音していませんか?
沖縄にH音はありません、F音ですよ「フィージャ」なのです、


 面白いので、もう一つ、

「泡盛3合ビン買いましょう」 これを方言(琉球語)にしてみましょう、

 まず「買いましょう」は「コウラ」です、購買の「購う」に動詞の活用形で
「コウラ」になります、
 「awamori sangoubin koura」短母音をすべて「a i u i u」へと
変音させます、「awamuri sanguubin koura」さらに子音、R
は無音に、BはMに、KはFに変えると「awamui sanguumin foura」
「アワムイ サングウミン フォウラ」、これ伊江島方言ですね、

 沖縄の方言(琉球語)は、言葉の転訛(発音の違いで本来の意味が
変わってしまう事)が多いのですが、詳しく調べてみると、その、ほとんどが
日本語であることがわかります、

 琉球語は、日本語が変化していったものではありません、日本語のほう
が文明の進化とともに変わっていったのです、

 琉球語は日本本土から離れた孤島であったが故に、時代にとり残されて
しまったのです、

 沖縄と古代日本は、祖語と呼ばれる共通の言語を話していたのです、

 それは言葉だけではありません、沖縄の祭礼などの風習や文化も古代
日本のなごりを思わせるものが多いといわれています、

okinawa.jpg
 okinawa2.jpg 


 つまり、沖縄は古代日本の博物館なのです。

  舜天王統時代、伊祖城を築いた伊祖氏、伊祖とは「伊勢」の転訛で
1185年の平家滅亡後、南走平家の一団として沖縄に落ちのびてきた
「伊勢氏または伊勢衆」の事である、


  その3「浦添中山考・王国の誕生」 にて

    ※参考文献

 琉球・沖縄史    新城俊昭
 琉球の歴史     宮城榮昌
 古琉球        伊波普猷
 三山由来記集   東江長太郎


 

 
 
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Author:nankaiadan
沖縄県の離島、伊江島。
湧出(ワジ)展望台で土産物の売店を経営しています。
しまんちゅ(島民)だからこそ、お伝えできる伊江島の魅力、たっぷり紹介していきます。

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